shibe drill. 別館

日記代わりになんとなく書く方

岩手な郡の話

「郡」ってありますよね。よく住所で書くやつです。

は?そんなもんはない?この都会っ子め~(´へωへ`*)

 

自分は稗貫郡石鳥谷町*1ってところの出身なんですが、

小学校の頃は「稗」という字が難しすぎてイライラまかせに2Bの鉛筆をバキボキ折りながら年賀状を書いておりました。

 

さて、我らが大都会・岩手県*2に現存する郡は

流石に大宝律令の名残はなさそうですが、ちょっと興味が出たので

現存する郡と滅びた郡で成立年表でも作ってみようかなと思います。

※この表はWikipediaの情報とそれに付随する情報に自己解釈を含めた形となっており、情報の正確性に関しては諸説あります。

 

【現存する郡】

802年

気仙郡(住田町)

804年

胆沢郡

811年

紫波郡

1878年

岩手郡
和賀郡
九戸郡
二戸郡

1879年

西磐井郡

1897年

上閉伊郡
下閉伊郡

【消滅した郡】

802年

江刺郡→だいたい奥州市*3
磐井郡→分割(西磐井郡東磐井郡

811年

稗貫郡花巻市
和賀郡(旧)→分割(西和賀郡、東和賀郡)
岩手郡(旧)→分割(北岩手郡、南岩手郡

1878年

閉伊郡→分割(東閉伊郡、西閉伊郡、南閉伊郡、北閉伊郡、中閉伊郡)

1879年

九戸郡九戸郡
九戸郡九戸郡
岩手郡岩手郡
岩手郡岩手郡
東和賀郡→和賀郡
西和賀郡→和賀郡
北閉伊郡上閉伊郡
中閉伊郡→上閉伊郡
東閉伊郡上閉伊郡
西閉伊郡→下閉伊郡
南閉伊郡→下閉伊郡
東磐井郡→だいたい一関市*4

 

804年、811年って何があったの

801年に阿弖流為坂上田村麻呂に降伏し、802年に田村麻呂は胆沢城を作り始める。
その際に周辺地域の支配を固めるために「磐井」「江刺」「胆沢」の『胆沢三郡』を成立させる。
その後、志波城「和我*5」「稗縫*6」「斯波*7」の「志波三郡」を成立。これが「律令期の六郡」と呼ばれているらしい。

1878年って何があったの

郡区町村編成法ってやつが岩手で施行されたのがここらしい。

1879年って何があったの

よくわからん…けど、おそらく上記法の調整が入った時期っぽい。
岩手郡や和賀郡はわざわざ分割したのに再統合されたみたい。

1897年って何があったの

郡制っていうのが施行されたらしい。

 

【まとめ】

ちょこっと調べただけで結構深い地域史が出てきてびっくり。

後でもうちょっと深堀りしようかなと思います。

岩手県って実は面倒で、盛岡藩仙台藩時代は胆沢地方は仙台藩所轄だったんだけど、その後すったもんだあって一関のあたりが一関県になり、盛岡県(岩手県)になり…と県境が動くんですよね。

なので曖昧な感じになりました。もう少し調べて別記事にでも。

 

*1:現:花巻市石鳥谷町。合併したら部活の予算減らされました。クソ~

*2:クマの出没数全国1位

*3:一部は北上市、その他は水沢市江刺市を経て奥州市。ナカヨクシテネ

*4:一部奥州市を含む

*5:のちの和賀。

*6:のちの稗貫。もっと書きやすい字にしとけよな

*7:のちの紫波